明日の心配なんてするなよ

体の疲れは睡眠や休息である程度癒せても、
心の疲れはそう簡単には癒えないものだ。

しかし、時としてふと出逢った言の葉のおかげで
心の負担が軽くなる事もあるというもの。
俺はそんな素敵な言の葉たちに、日々心を癒されている。
今回の言の葉も、疲れた心と体を癒してくれる言の葉だ。


『明日は明日のことにして寝ませうよ』


この言の葉は、種田 山頭火(たねだ さんとうか)という、
明治〜昭和初期頃にかけて活動していた俳人の言の葉だ。
俺は、その生涯を詳しくは知らないが
興味のある方はインターネットなどで調べてみて下さい。

お恥ずかしい事に、とても心配性の俺。
仕事を終えて帰宅してからも、家で気持ちが落ちつかない。

残してきた仕事の事や、明日やるべき業務。
今日片付けた仕事にミスは無かったか?
あまつさえ、私事でこなさなくてはならない
あらゆる用事を考えて、自宅でのせっかくの自由な時間を
『くつろぐ事』よりも『心配する事』に
費やしていると言っても過言ではない。

なぜ明日の事まで心配して
こんなにも心穏やかでない状態で居るのか。
よく考えてみれば、これはとても
もったいない時間の過ごし方ではないか。
そんな時、この言の葉を見てみるのだ。

以前、ふと立ち寄った文具店の片隅に
ポストカードのコーナーがあった。
そこに並んでいた一枚のはがき。
その言の葉に、俺の目は釘付けになった。

『明日は明日のことにして寝ませうよ』

何か、優しくなだめるように
そっとそう言われたような気がした。

『明日は明日の事だから、明日考えればいいじゃないか。
だからもう、今日はあれこれ考えないで、もう寝ましょうよ』
と、あらゆる事に心をがんじがらめにされている俺に
そう言ってくれたような気がしたのだ。

はがきの写真も良かったのと、
この言の葉を身近に置いておきたくて
俺は迷わずそのはがきを購入した。

今でも部屋のコルクボードには、
そのはがきがピンで留めてある。
自宅で過ごすせっかくの自由な時間を
明日の事に囚われて、心穏やかに過ごせない時。
俺はこの言の葉を見てみるのだ。


『明日は明日のことにして寝ませうよ』


そうなのだ。
明日は明日の風が吹くのだ。
明日という日は、どんな一日になるかまだ分からない。
良くても悪くても、大切な一日じゃないか。
失敗したって、まぁ死ぬ事は無いさ。
明日の事は、明日考えよう。
今日、明日の心配をしたって意味が無いもんな。

と、そんな風に肩の力がすぅっと抜けるから不思議だ。
短いけれど、飾り立てた言葉では無いけれど、
何とも癒される言の葉だと思う。

心配事や悩みの種は、生きている限り尽きる事は無いのだろう。
しかし、心を上手くコントロールして
自分で自分を苦しめないように生きる事。
グダグダでも結構。
完璧な人間の方が少ないんだからなぁ(笑)。

さて。
明日はどんな一日になる事やら。

もしも今、明日の心配をしている方が居るなら
『明日は明日のことにして寝ませうよ』。

どうか心を穏やかに過ごして下さい。

『忘れる』事も必要だ

『言の葉』というものは、実に不思議なものだ。
どんな暗闇の中にあっても、
ただ一言でその闇を払う事もできるものだ。
しかし、使い方によっては
簡単に人の心を傷付けてしまう事もあるので
言の葉の使い方には注意が必要だとつくづく思う。

今回の言の葉も、俺が出逢えたとても素敵な言の葉で
日々、生きる気力を与えてもらっている。


『覚えていて悲しんでいるより、忘れて微笑んでいるほうがいい。』


この言の葉は『クリスティーナ・ロセッティ』という人の言の葉だ。
何をした人なのかよく知らなかったので調べてみると、
どうやらイギリスの詩人らしい。
その名前からも分かるように、女性だ。

以前から、当ブログでも何度か話題にしているが
俺はとにかく小心者だ。
その上、かなりの弱虫だからクヨクヨする事が多い。
起こしてしまった失敗や、起きてしまったトラブル、
他人から言われた気になる一言などを
いつまでも心に留めてしつこく落ち込んだりする。
我ながらうっとうしい奴だよな(笑)。

若い頃と違い、もういい歳になった今では
その弱虫っぷりも少しは改善されつつあるが、
やっぱりまだまだ、すぐにクヨクヨしてしまう。

もう済んだ事や過ぎた事はさっさと忘れて
日々を新しい気持ちで過ごせればいいのだが、
いかんせん、なかなかそれが出来ない。
過去の失敗や気まずい出来事、
言われて傷付いた言葉を思い出してまで
クヨクヨする始末。

…もしかして、俺は結構『ドM』なのか!?(笑)。
なんか一種のプレイみたいになってるから!
名付けて『失敗思い出しプレイ』。
…いやいやいや!
どんだけ自虐的なんだよっ!

それはさておき。
そんな(ドMの)俺が出逢えたこの言の葉。
この言の葉との出逢いには感謝している。

過去の事やもう済んでしまった事を
いつまでもしつこく覚えていて、
あまつさえ思い出してまで嫌な気分になる。
そんな事は全く建設的ではないし、
精神衛生上も悪い事この上ないではないか。

そんな自虐的な日々を送って苦しむぐらいなら
過去の事はすっかり忘れて、昨日は昨日、明日は明日。
心と頭を空っぽにして、気楽に毎日を過ごせばいいのだ。

楽しい事や嬉しい事は、たくさん覚えておけばいい。
しかし、嫌な事や辛い事
言われて傷付いた言葉や暴言。
そんな事をずっと心に留めて思い出してばかりでは、
毎日が辛く苦しくなってしまう。

辛い思いも、決して悪いものではないと思う。
自分が他人にそんな思いをさせないように
『おもいやる』心を知る事ができるからだ。


『覚えていて悲しんでいるより、忘れて微笑んでいるほうがいい。』


いつまで経っても悲しい事を覚えていて、
それを思い出してまで苦しむのは
心身共にいい影響を与えないだろう。
だから、悲しい思い出は少しずつ忘れて
その分、楽しい事や新しい事を一つでも多く頭に入れよう。
弱虫の俺がそう思えた言の葉だった。

忘れてはいけない『失敗』もある。
忘れられない『悲しみ』もある。
でも、過去の事にとらわれないで
新しい日々を、少しでも楽しく。
こんな世の中だからこそ、そう思うのだ。

人生は長いようで短い。
毎日をどうか大切に。

それにしても…。
時として『忘れる』事も大切なのだが、
俺は最近、自宅の電話番号がぱっと出て来ない事がある。
これは忘れたらダメな部分だよなぁ…(笑)。

ほんとうの『失敗』とは

どちらかと言うと、悲観的な俺。
くよくよする事が多くて、落ち込むとしつこい。
楽観的になろうと頑張ってみたが、
こればっかりはどうにもならないモンだ(笑)。
性格は簡単に変えられたものでは無い。

そんな俺にとって、勇気の出る言の葉は無くてはならないものだ。
今回の言の葉は、大失敗をして迷い悩んでいた時に
縁あって出逢えた言の葉だ。


『間違いをしても、やり直す機会はかならずあります。
なぜならわたしたちが「失敗」と呼ぶものは
転んだことではなく、
転んだまま起き上がらないことなのですから。』
(偕成社:勇気の言葉・訳:中村妙子)


この言葉は、メアリ・ピックフォードという人の言葉だ。
何をした人なのか知らなかったので改めて調べてみると、
どうやらカナダ出身の、女優兼プロデューサーらしい。

この言葉に出逢った頃、俺は精神的にグダグダの状態だった。
自分の起こした失敗が、もう取り返しのつかない事だと思い込み
『俺の人生終わりだ!』なんて真剣に悩んでいたからだ。
しかし、今となって改めて考えてみると
それは深刻な失敗ではなかったと思う。
確かに、色んな人に迷惑を掛けてしまったが
取り返しのつく事だったのだ。

問題の渦中に身を置いていると、
どうしても客観的に物事を見られなくなる。
俺の場合、特にそれがひどいと自覚している。
頭の中身が単純だから冷静に物事を考えられないのだ(笑)。
パニックになると尚更だ。

最近では、それも少しは改善されつつあるとは思うが
やはり『自分自身を客観的に見る』という事が苦手だ。

当時、自分の起こした失敗で激しく落ち込み
自己嫌悪と絶望の中に居た俺。
何か気を紛らわそうと立ち寄った書店で見つけた本に、
この言葉を見付けたのだ。

この言葉には、当時の俺は本当に救われた。
弱虫の俺を『しっかりしなさい!』と叱咤し、
ピシャリとおしりでも叩かれたような気分になった。
まるでこの世の終わりでも迎えたかのような、
自身の落ち込みっぷりが恥ずかしく思えた。

生きて行く上で『失敗』などあっても当然で、
時としてそれは、望まなくても起こってしまう。
誰だって失敗はしたくないのが当然だろう。

ただ、失敗を起こした時に
その後『どう動くか』が問題なのだ。

問題が起こった時に、大なり小なり落ち込むのは当然。
しかし、落ち込み続けて泣き続けて
ずっと立ち止まってうずくまる。
そのまま何もせずに泣いているだけでは
その後の進歩などありえないだろう。

『失敗』とは、失敗を起こした事なのではなく、
それを乗り越えようとしない事を『失敗』と呼ぶべきなのだと、
俺はこの言葉を見て知った。

この言葉を忘れてはなるまいと、
俺はその本を購入し、少し明るい気持ちを取り戻して
書店を後にした。

『間違いをしても、やり直す機会はかならずあります。
なぜならわたしたちが「失敗」と呼ぶものは
転んだことではなく、
転んだまま起き上がらないことなのですから。』

ある意味、失敗は成長への一歩であり
困難は伴っても、乗り越えれば一つ大きくなれるはずだ。
俺はそう信じられるようになった。

つまづいても、転んでも。
泣いても、落ち込んでも。
その度に、また立ち上がればいい。
立ち上がろうとしない事こそが、本当の『失敗』なのだと。

いくつになっても弱虫の俺。
いい加減、色んな意味で落ち着かないとなぁ…(遠い目)。

自分で限界点を作らない事

人生という道のりは、時として厳しく
生きる望みを失ってしまう事もあるだろう。
俺もどちらかというと『楽天的』ではなく『悲観的』な方で、
落ち込んだりつまずいたりすると結構しつこい(笑)。
そんな俺を泥沼から引き上げてくれる言の葉。
今回の言の葉は、改めて俺自身に言い聞かせたい言葉の一つだ。


『終わりというものはない。始まりというものもない。
人生には無限の情熱があるだけだ。
始まりと思うのも自分、もう終わりだと思うのも自分。』


これは、イタリアの映画監督、脚本家の
『フェデリコ・フェリーニ』という人の言葉だ。
監督の作品自体は、正直な所見た事は無い。
しかし、この言葉がとても好きだ。

誰もがそうとは限らないが、人は歳を重ねるごとに
年々『挑戦する力』を失ってしまうように思う。
『年齢』以外にもあらゆるハードルはあるのだろうが、
何か新しい事を始めようと思った時に
『もうこんな歳だから…』と、あきらめる理由にしてしまう。

俺も以前は、何かと理由を付けては
『新しく挑戦する』という事から遠のいていた。
しかし、この言葉と出逢ってからは
どんな事でも『まずやってみよう』と、そう心掛けている。
特に、自分が『面白そう』だと感じた事なら尚更だ。

もちろん、事件になるような事や犯罪絡みの事は言語道断。
他人に著しい迷惑を掛ける事などは
言うまでも無いが、やってはいけない。
しかし、自分が興味を持った上で
それが誰にも迷惑を掛けないなら、
挑戦してみればいいのではないかと、そう思うのだ。

年齢を重ねると、あらゆる面での能力低下を考慮して
自分で自分に『限界点』を作ってしまう。
失敗する事の恐怖や、新しい事を始める事によって生じるリスク。
そういった事も考え始めると
新しい事に挑戦する意欲も萎えてしまうというものだ。

自分で自分に『もう○○だから…』と、
何かしら理由を付けて諦めるのは簡単な事だ。
しかし、『やらなかった』後悔と
『やっても駄目だった』後悔とでは、どちらが納得行くだろうか?
もちろん、後者の方ではないだろうか?

先日、俺の若い頃の日記が出てきた。
中を読んで、心の底からあきれ返ってしまった。
できる事なら当時の俺の所へ行って、一発殴ってやりたい気分だ。

そこには、当時20歳の俺の心の内が汚い文字で並んでいた。
仕事の悩みや人間関係の悩み、趣味に関する悩みなど
それはもう、つらつらと。
なんという軟弱な俺。
ヘタレっぷりを競うオリンピック、
名付けて『ヘタレンピック』でもあれば、俺は金メダル確定だ!

しかもだ。
当時、まだ若干20歳という年齢にも関わらず、くり返し
『もう20歳になってしまった。』的な事が書かれており、
まるで人生の終焉でも迎えたかのような嘆きっぷりである。

…いやもう、やっぱりアレだ。
タイムマシンでもあればその頃の俺の所に行って、
一発と言わず、4〜5発殴ってやらないと気が済まなくなって来た(笑)。

何が『もう20歳』なんだろうか。
『もう』って何だよ。
今の俺から見たら、20歳なんて子供だ。
社会的には成人として扱われるけど、中身はまだまだ子供だ。
(全ての20歳がそうだとは言わないが、
俺に関しては20歳の時は子供っぽかったと思う)。

そんな若造が、何をどう思って『もう20歳』などと
のたまっていたのだろうか。
20歳。なんとうらやましい(笑)。
決して『もう』などと言わなくてはならない年齢では無い。
何でもできるし、多少の無茶もできる年齢じゃないか。

当時の俺には、当時の俺なりの苦悩があったのだろう。
それ故に『もう20歳なのに…』といった、
自身の年齢に対する脅迫観念のような物に
日々さいなまれていたに違いない。

当時、20歳の俺が『もう20歳』と、
自分自身で作ってしまっていた謎の限界点。
今の俺が見ると、それは笑い飛ばせるような事である。
それなら恐らく今の俺自身も
50代、60代になった頃の自分自身から見れば、
まだまだ『何でもできる年齢』なのではないだろうか?

『終わりというものはない。始まりというものもない。
人生には無限の情熱があるだけだ。
始まりと思うのも自分、もう終わりだと思うのも自分。』

必要なのは『やってみたい事に対する情熱』。
そして、自分自身で、自分に『終わり』を定めてしまわない事。
時間と費用が許す限り、やってみたい事や新しい事に挑戦してみる事。
これに尽きるのではないか。

…と。
最近すっかり弱虫なおいちゃんが、
改めて自分自身に言い聞かせたい言の葉です。

今一番やりたい事?
それはやっぱり、20歳の頃の俺自身を一発殴って
喝でも入れてやりたいです(笑)。

くらべるものでは無い

人生において行き詰ったと感じる時。
何をやっても物事がうまく行かない時。
そんな時、不思議とそのモヤモヤが軽減される言葉に出逢える時がある。
今回の言葉も、そんな『モヤモヤ』の真っ只中だった俺が
出逢う事ができた言葉。


『我は我、人は人にてよく候(そうろう)』


これは『熊沢蕃山(くまざわばんざん)』という人物の言葉らしい。
俺はその『熊沢蕃山』という人が何をしたのか、
どういった経歴なのかは詳しく知らない。
インターネットで調べてみると、どうやら江戸時代の人物のようだ。

今から一年ほど前。
朝トイレに入ると、壁に掛かっているカレンダーに
この言葉が書いてあった。
俺は軽い衝撃を受けた。

『自分は自分。人は人。』
それで当たり前。
それでいいじゃないか。

それなのに俺という奴は、他人と自分を比べては
『どうして自分はこんなにどうしようも無い奴なんだろう』だとか、
他人にはあって自分には無い物を考えて
自身を卑下したり落ち込んだりする。
…う〜ん、ダメな奴だ(笑)。

人間、同じ個体は一つとして無い。
持って産まれてきた『人生』そのものが、
一人一人それぞれの固有の『たった一つの人生』なのだ。
性格、技術、好みや物事の考え方、生き方。
もはやそれらを比べるという事自体が滑稽ではないか。

自分と他人とを『比べる』という事はしてはならない。

ただし『自分は自分』と、
周りに著しく迷惑を掛けるのはもっての他。
そこははきちがえてはイカンとは思う。

自身を客観的に見詰め、向上心を持つのは大切な事だろう。
しかし、他人と自分を比べ『どうして俺は…』なんて
落ち込むのは全く持って無意味、かつ時間の浪費だと思った。

『我は我、人は人にてよく候(そうろう)』。

人は人。自分は自分。
人間は『比べる』ものでは無い。
比べられるものでは無いのだ。
自身に与えられた人生を、どのような状況下においても
腐らずにまっすぐ生き抜く事。

考えても仕方の無い事をあれこれ考えていたのでは、
せっかくの一日が無駄になってしまう。
それよりも、自分自身を大切に
その日を生きた方が建設的だ。

俺はこの言葉に深く感銘を受け、
朝からトイレの中で腕を組んで、しみじみとしてしまった(笑)。
…いや、どこで感心してるんだよ、俺っ!

今でも、自分がとてもちっぽけでくだらない人間に思える時。
この言葉を心の中で繰り返してみる。
ふっと気持ちが軽くなって
『俺は世界に一人の俺やもんなぁ。これが俺や!』などと、
妙に元気になってしまうから不思議だ!

こんな素敵な言葉を残してくれてありがとう、クマバン!
(名前を略すな!)。

いやぁ〜。
世の中には、いい言葉がいっぱいありますなぁ…(遠い目)。

自分を責めるよりも

お恥ずかしい話だが、俺は落ち込むとしつこいタイプだ。
一つの事柄で軽く1週間。
ひどい時には1ヶ月以上でも落ち込んで悩む事ができる
…って、何の自慢にもならないよな(苦笑)。

そういう泥沼状態にいる時。
時としてその暗闇からスッと救ってくれる言葉に出逢える時がある。
これもそんな俺が出逢えた素敵な言葉だ。

『どうして、自分を責めるんですか?
他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。』

これは、あの有名な科学者『アインシュタイン』の言葉だ。
この言葉に出逢った時、俺ははっとした。
同時に思わずニヤリと笑ってしまった。

なんとも『アインシュタイン』らしいと言うか、
彼の有名な、あっかんべーをした写真を思い出してしまった。

俺はこの言葉がとてもいいなと思った。

俺は自分の事を責めるのが大好きだ。
…と言うと少々語弊があるかも知れないが、
『どうして俺はこんなにダメな奴なんだ…』などと
自分の事を自分で責める事が多い。
そして苦悩してしまう。
もはや何かの荒行のようになってしまっているではないか。

何ですか?
もしかしてこれは『自己叱責プレイ』ですか?
ドMの俺にはピッタリなプレイ…って、違うからっ!(笑)。

いやいや。
とにかく、俺は自分で自分を責めては苦しんでしまう。
しかし、この言葉に出逢ってからは
『自分で自分を責めて苦しむ』事が少しは減ったと思う。

自分で自分の事を責め始めた時、ふっとこの
『どうして、自分を責めるんですか?
他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。』
という言葉が頭に浮かぶ。
そんな時はすぐに
『ああ、そうだ。自分で自分を責めなくても
他人に責められてから考えりゃいいかぁ』などと
かなり楽天的(なのか?)な考え方が出来るようになった。

だからと言って、自分の欠点や短所を見直す事無く
周りに著しい迷惑を掛けるのはどうかと思う。
そして、時には自分を見つめ直す時間があってもいいだろう。

ただ、自分で自分を責めて苦しむ事。
それは心身共に良くない。

自分の良い所はもちろん、悪い所も知った上で
そんな自分と一緒に人生を歩いて行く。
それでいいのではないかと。

何事も『苦悩』になるまでやってはいけないなぁと
俺は改めて考え直した次第だ。

俺が出逢えたアインシュタインの素敵な言葉。
そんな彼の言葉が他にもたくさん収録されている
『アインシュタイン150の言葉』
(ジェリー・メイヤー&ジョン・P・ホームズ編
ディスカヴァー・トゥエンティワン発行)
この本は、俺にとっては手放せない一冊になった。

いやはや。
本当に言の葉というものは、時として心が楽になるもんだなぁ…(遠い目)

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