いまだに後悔している事

時々、今は亡き親父の事を思い出して
懐かしんだり、少し寂しくなったりしている。
しかし、一番辛いのは
『後悔する事』を思い出した時だ。

つい最近、そんな『後悔する事』を
ふと思い出してしまった。

俺の親父は職人で、本当に変わり者だった(と思う)。
親父について良く分からない事もあったし、
扱いにくい部分もあった。

そんな親父。
ある時、外出した帰りに何を思ったのか
家族に『おみやげ』を買って来た。
当時、親父がそんな事をするのは本当に珍しい事だった。

ちなみに、家族を大切にしていなかった
などの理由からではない。
恐らく、これはあくまで俺の憶測だが
家族への愛情表現の仕方が分からなかったのだと思う。
いわゆる『不器用な人』だったのだと思う。

で、親父がおみやげに買って来たもの。
それはなぜか『チキン』だった。
それも、衣などを何も付けずに焼いた
素焼きの(グリルというのだろうか)チキンだ。

今のように『ケンタッキーフライドチキン』など
ファーストフード的な物は無かった時代だ。
親父がどのような経緯で
それを購入したのかは分からないが、
なんかもう、ホントに『素焼きの鶏肉』だった(笑)。

今思えば、それは親父にとって
とても珍しい料理だったのだろうか?
親父にとって『グリルしたチキン』は、
何か特別な、素敵な食べ物だったのだろうか?

家族に『おみやげだ』と、
手にした袋からチキンを出し食卓に並べる親父。
どこか少し嬉しそうだったのを覚えている。

それも、家族の人数分以上の量。
鳥のもも肉の部分を素焼き(グリル)にした物を
誇らしげに並べる親父。
『なぜそんなに買ったんだ』と思うほどの量だ(笑)。
さらに。
当時としては珍しかったのだろうと思われる、
『サラダ』みたいな物もいくつか出て来た。

素焼きの鳥のもも肉がうず高く積まれた食卓は、
食欲を減退させるだけの迫力があった。
鶏肉には申し訳ないのだが、
『おいしそう』という気分にはなれなかった。

親父は『好きなだけ食べろ』と言うが、
どうしても俺はその素焼きのチキンを
食べる気が起こらず、ためらっていた。

なぜなら、唐揚げなどならまだしも
『グリル』された鶏肉は、皮膚の毛穴も生々しい。
こんがり焼いてあるものの、
何となく食べる気になれなかったのだ。

兄や姉を見ると、同じ事を考えていたのだろう。
やはり『おみやげ』に手を出そうとしない。
げんなりしている様子が見て取れた。

母が最初に食べ始めると、
兄と姉も手に取って『グリルしたチキン』を食べ始めた。
そうなると、俺も食べないワケには行かない。
一緒に食べ始めた。

しかし、それは思っていた以上に美味しくなかった。
決して『まずい』というワケではなかったが、
もっと食べたいと思えるような味ではなかった。
何か、肉が固くて若干ゴムっぽい歯ごたえ。
味もほとんど感じられない。
見た目はこんがりと焼いてあるのだが、
なぜか『生っぽい』と感じてしまう。

当時の俺、あからさまに嫌そうな顔をしたと思う。
確実に、美味しくなさそうに食べていたと思う。
兄や姉も、同じだったと思う。

親父は、そういった雰囲気を感じ取ったのだろうか。
ふと見たその顔が、とても寂しそうだった。
ほんとうに、すごく寂しそうな顔をしたのだ。

親父は『せっかく買って来たのに』だとか、
『残すな』だとか、そういう事は言わなかった。

でも、とても寂しそうな顔をした。

結局、大量の『グリルしたチキン』は
母が工夫を凝らして料理に活かし、
捨てたりするような事はなく全て片付いた。

しかし、問題はそこではなかっただろうと
今頃になって思う。

親父の買って来たおみやげ。
それが『好き・嫌い』以前に、
親父にちゃんと『ありがとう』を言っただろうか?
『家族が喜ぶだろう』という親父の気持ちを
考えただろうか?

当時、まだまだガキだった俺。
親父へのそんな配慮はみじんもなかった。
ただ『グリルしたチキン』が好きか嫌いか、
美味しいか美味しくないか。
それだけだった。
それしかなかった。

今でも後悔する。
どうしてあの時、親父のおみやげに対して
ちゃんと『ありがとう』を伝えなかっただろうか。
嘘でもいいから『おいしい』と、
どうしてそう言わなかったのだろうか。

あの時の、寂しそうな親父の顔を思い出すと
そればかりが悔やまれる。

結局。
親父はある日突然この世を去った。
今さら思いだした『ごめん』や『ありがとう』は、
もう伝えられないのだ。

誰に対してもそうだ。
明日、必ず会えるとは限らない。
この世で会うのは今日が最後かもしれない。

言い忘れた『ありがとう』や
言えなかった『ごめん』は、
できればその日のうちに。

親父に対してのみならず、
家族に対して伝えておきたい『ごめん』を
いくつか放置している俺。
それを伝えるには、まだまだ勇気がいるのだが(笑)。

後悔する事になる前に、
何とかしようと思っている俺です。

【今回の内容に関連する話】
酒は飲んでも飲まれるな〜ゴメンが言えない瞬間〜
(若き日の苦い思い出)
9×9 〜真夜中に響く声・壁に浮かぶ文字〜
(こんな教育方法はアリなのか?)
最近親父に似てきたなぁ…
(俺、親父の遺伝子継ぎすぎ)
勝手に参るな
(親父の墓に関する不思議な話)
親父と俺 in 雪山〜消える事のない想い出を〜
(生還できて良かったなぁ)
親父、アンタそうだったのか…
(キャッチボールの間違った遊び方と目的)

親父の辞書〜親父の調べた言の葉たち〜

親父の辞書・その1

この国語辞典。
見ての通り、かなり年季の入った一品。
今は亡き俺の親父の『形見』とでも言おうか。
親父が亡くなった後、
遺品の整理をしていた時に出て来た品だ。

かなりボロボロで、外箱などはテープで補修してある。
若干カビ臭い匂いもするが、
それもこの年代物の辞書の『魅力』という事にしておこう。


親父の辞書・その2

本体の状態は割と良い。
奥付には、初版昭和30年と明記されている。
価格は650円。

昭和30年の大学卒初任給は
約10,600円(男子平均)だったそうなので、
当時はなかなか高価な品だったと言えよう。
ちなみに、昭和30年の物価は
タバコ一箱約30円。
散髪料金約150円。
映画約130円、といった具合だ。

辞書という物は、年々情報が新しくなる。
今から50年以上も前の辞書など情報が古すぎるのだが、
それでもやっぱりこの辞書を捨てられない俺が居る。

人が使っていた辞書を見るのは、少し愉快だ。
何かその人の『日記』でものぞき見ているような、
心の一部を垣間見たような気分になる。

親父が使っていたこの辞書。
開いてみると、色々な所にメモのような走り書きや
特定の言葉に印が付けてあり、
それを追って探してみるのが面白い。

当時、恐らくチェックするのに
『蛍光ペン』など無かったのだろう。
赤鉛筆で線が引いてあったり、丸が付けたりしてある。
親父にとって重要だったであろう単語には
言葉の意味も含めて四角い枠で囲んであったりと、
しつこいぐらいにチェックされている。

親父が調べた言の葉をひとつずつ見つけては、
様々な思案を巡らせてみる。

『なぜこの言葉にチェックをいれてあるのか』。
『なぜこの言葉の意味を調べたのか』。
当時の親父を想いながら、俺はそれらの言の葉を追う。

そんな中、どうしても気になる言の葉を見つけた。

『永遠』という言葉に、親父のチェックが入れてある。
赤鉛筆で、太く、強く線が引かれている。

永遠。
時のながくはてしないこと。
永久。
とこしえ。
eternity。

『永遠』など、何も難しい言葉ではない。
親父は、調べなくてもわかるはずの言の葉を
なぜ調べたのだろうか。
親父は『永遠』という言の葉に何を見たのだろうか。

人の使っていた辞書は、やっぱり面白い。
ただの『辞書』なのに、その中に『物語』があるようだ。

親父の遺品だから捨てられない訳ではない。
俺はやっぱり、この辞書を見るのが楽しいのだ。
ヘタな小説より、この辞書を見るのが愉快なのだ。

だから、俺はこれを捨てられないのだ。

人の使っていた辞書は、やっぱり面白い。
俺は悪趣味だろうか。

歌とギターと漫画と夢と

オリジナルソングの歌詞

上の画像。
若い世代には、もうこれが何なのか分からないかも知れないが、
これは『カセットテープ』だ。

俺がずっと大切に持っている品で
昔、ある男からもらった物だ。
このテープには、彼の作った歌が録音されている。
ちゃんと手作りの歌詞カードも封入されている
本格的な一品。

このオリジナルソング入りのテープ。
実は、俺が『サトルと微妙な仲間たち』を描き始めた
きっかけの一つでもある。
俺がまだ若かった頃の話で、少し長くなるが
よかったら聞いてくれ。

まだ俺が20代前半の頃。
とある小さな会社の、物流関係の部署で働いていた。
その会社で、俺は彼と出逢った。
彼の名前は『H君』としておく。

H君と俺とは、歳が近かった。
社内では、同じ物流でも部署が違う。
会社には俺より数年早く入社していたから、
いわゆる『先輩』だ。
口数は少ないがなかなかの男前で、声もスタイルもいい。
女の子が放っておかないであろうタイプ。
キモい感じの俺とは大違いだ(笑)。
その上仕事はきっちりとこなすし、社内でも一目置かれていた。

俺が入社して数ヶ月後。
部署は違えど、初めてH君と一緒に仕事をする事になった。
俺からのH君に関する第一印象は
『彼とは気が合わないだろう』という事だった。

何事も、第一印象のみで全ての評価をしてはいけないと
俺はこの歳になって、ようやくそう思えるようになった。
しかし、まだまだ青かったあの頃。
H君の雰囲気や、俺とは正反対のタイプであろう彼に対して
『気が合わない』と決め付けてしまっていた。

しかし、恐らく相手もそう感じていたのだろう。
やはり一緒に仕事をしていても、何かギクシャクして
彼もまた、俺の扱いに困っているであろう態度が見て取れた。
会話はほとんど無かった。

それからも、同じ会社である以上
仕事の面では関わりを持たなくてはならない訳で、
仕事に関する用件や、最低限の挨拶。
それらを事務的に交わすだけの間柄だった。

正直、俺はH君が苦手だった。
無論、それはH君も同様だったようで
『普通』を装いながらお互いに牽制(けんせい)しあっている。
そんなぎこちない対応の日々が続いた。
俺は結構、疲れていた。
H君も疲れていたのではないかと思う。

そんなある日の事だった。

会社の昼休み。
食事に社外へ出たり、食堂へ行ったりと
物流内はほぼ無人となっていた。
俺は、隣の部署に渡さなくてはならなかった品物を
自分のデスクの脇に置いたまま忘れていた事に気付いた。
『隣の部署』とは、H君の管轄だ。
しかも、H君本人に渡さなくてはならない品物。
…これは気まずい(笑)。

昼休みで誰も居ない今がチャンスだと思った俺。
品物を持って、こっそりと隣の部署へと向かった。

部署内は無人で、もちろんH君も昼休みで居なかった。
いそいそとH君のデスクの上に品物を置くと、
用件を書いたメモを貼り付けて離れようと思った。
と、何気にH君のデスクの下を見ると
何か横たえるように置いてある。

しゃがみ込んでデスクの下を覗き込むと、
それは一本の『ギター』だった。

そこですぐにH君のデスクを離れれば良かったものを、
俺はつい、そのギターに目を奪われて
しばらく見入ってしまっていた。

『これH君の私物かなぁ、弾けるのかなぁ…』
しゃがんだまましばらくアレコレと考える俺。
背後の気配に気付いて振り向いた瞬間、激しく後悔した。

そこに立っていたのはH君本人だった。

何ですか?
このドラマ並みのバッドタイミング(笑)。
その時、俺、全身から変な汗が出たね。
いやもう、ホント。
あの時の気持ちと気まずさと言ったら、今でも忘れられない。

H君は無表情で俺を見ていた。

俺は思わず、言い訳をまくし立てた。
そのギターがカッコいいと思った事。
自分自身も以前、ギターを少しやってみた事。
でも難しくて途中でやめてしまった事。
曲を作ったり唄ったり出来る人がうらやましいと思う事。
それらを俺は、自分でも驚くほどのマシンガントークで話していた。
そして最後に、勝手にデスクの下を覗き込んだ事を謝った。

すると、H君は無表情から一転。
特に怒ったり気分を害した様子も無く、柔らかい表情で
『そのギター、俺の』と言った。

H君にこのギターを弾けるかどうかを訊くと
『弾けるも何も、プロを目指してる』と、
少し苦笑いしながら答えてくれた。

大それた頼みだと思ったが、調子に乗った俺。
何か少しでいいから弾いてみてくれないかと頼むと、
意外にも快諾してくれた。
デスクの下からギターを取り出し
イスに座って颯爽とギターを構える姿は、
とても様になっていて、輝いて見えた。

H君自身が作ったという曲の一部分を、演奏して唄ってくれた。
いくら彼が素人だったとはいえ
その声には張りがあり、ギターの音は迫力があった。
確かに上手い。
プロを目指すだけの実力があると思った。
俺は心の底から感動した。
どう言っていいか分からなくて、
『すごい』を連発してしまっていたと思う。

H君は照れ臭そうに、だけど少し誇らしげな笑顔を見せた。
それが、俺が初めて見たH君の笑顔だった。

俺は感動のあまり、自分も漫画や絵を描いたりする事を
H君に話してしまった。
以前、そういった自分の『趣味』を他人に話した事で
ちょっと嫌な思いをした事があったが、
そんな事も忘れるほど、H君の演奏に感激していた。

形は違えど、同じ『ものづくり』をする者として
彼との共通点に親近感を覚えてしまっていたのだろう。

H君は俺を馬鹿にする事も無く、
『へぇ』といった感じの表情で俺の話に乗ってきた。
その日の昼休みは、H君と『ものづくり』について少し話をした。
俺の知らなかった彼の一面が、垣間見えた日だった。

それ以来、何かお互いの間にあった『壁』でも取れたかのように
仕事の用件以外でも、少しずつ言葉を交わすようになった。
当時、俺は自分のオリジナル作品は描いた事が無かったものの
二次創作で描いた漫画をH君に見せたりした。
嬉しい事にH君は、俺の絵や漫画を絶賛してくれた。

『表現する事』の難しさや、スランプの時の事。
ものづくりをする喜びや、それゆえに苦しい事。
お互い『素人』ではあったが、本気で夢を追っていたからこそ
そんな事を話せるのが嬉しかった。

そして数年後。
俺はその会社を退職する事にした。
いわゆる『一身上の都合』ってやつだ。

勤務最終日。

就業時間が終わるまでに、俺は社内の全部署に挨拶をして回った。
もちろん、H君の居る部署にも挨拶に行った。
H君は『お疲れ様でした』とだけ言ってくれた。

自分のデスクに戻ると、仕事を片付けつつ最後の身辺整理をした。
デスク上や引き出しの中。
要らない書類や私物を片付けて
その会社での、俺の最後の勤務が終わった。

妙にしんみりとした気持ちで、ロッカーへ向かおうと席を立つと
なんと、俺の部署までH君が会いに来てくれた。
何かを手に持っている。
ぶっきらぼうに、それを差し出してきた。

それこそが、あの『カセットテープ』だった。
H君が自分で作詞作曲、演奏して、そして唄っている。
そのオリジナルソング入りのカセットテープだ。
半ばそれを押し付けるように手渡して、俺に言った。

『漫画描くの、辞めんなよ。』

瞬間、俺は目から涙が噴射するのでは無いかと思った。
手渡されたテープがかすんで見えなかった。

『M(俺の名前)が、これからもずっとがんばれるように
これは俺からの応援歌のつもり。』

俺はもう、どう言っていいのか分からずに
カセットテープを持って、ただひたすらうなずいていた。
『このテープ、一生大切にするよ』と。
俺は何とかそう答えた。
H君からの『がんばれ』が詰まった、大切な一品だ。
後は言葉にならなかった。

『俺もずっと、唄うから。』

H君はそう言って、立ち去った。
その背中を、俺は今でも覚えている。

H君がくれたカセットテープの曲は、どれも素晴らしいものだった。
彼の『魂』そのものだと、そう思った。

あれから長い年月が経った。

一時『絵を描けない』という状態になった俺だったが、
幸いな事に、再び絵を描けるようになった。
しかし、その間に俺はずいぶんと歳を重ねてしまった。
夢だ何だと言っている年齢では無くなってしまった(笑)。

しかし、趣味として漫画は描き続けたい。

そんな中『サトルと微妙な仲間たち』を思い付き
登場人物たちが脳内に生まれはじめ、
そして、それらを『漫画』という形にしたいと思った時。
実は俺は、二の足を踏んでいた。
描く事に迷っていたのだ。

『続ける事ができるのか』。
『また絵を描けなくなったらどうするのか』。
そして何より『描く事に意味はあるのか』。

自分の漫画を描きたい。
そしてサイトを開設して、そこで公開したい。
でも、踏み切る勇気が無い。
しかし、あきらめる事もできない。

不思議な事に、そんな悶々とした時期に
H君がくれたこのカセットテープが
まるで俺の迷いを断ち切るように出て来たのだ。


『漫画描くの、辞めんなよ。』


テープを見た瞬間、H君の声が聞こえたような気がした。
あの日、彼が言ってくれた一言が
もう一度聞こえたような気が。

描く事に意味なんか要らない。
表現する事に理由なんか要らない。

お互い言ってたっけなぁ。
『どうして唄うのか』。
『どうして描くのか』。
答えはひとつ。

『やりたいからやるんだ!』

俺は、すぐさまサイト開設用のサーバ契約に踏み切った。
棚ですっかりほこりをかぶってしまっていた
漫画の道具を取り出していた。

勘を取り戻すのに苦労したけれど、
今はこうして、何とか自分の漫画を描き続ける事が出来ている。
とても幸せな事だと思う。

あまつさえその素人漫画に、
俺が泣いて喜びたくなるようなご感想を下さる方々がおられる。
俺は、『サトルと微妙な仲間たち』を描き始めて良かったと、
心からそう思っている。

今ほどパソコンも普及しておらず、
携帯電話など一部の人間しか持っていなかったあの頃。
今となってはもう、H君の事を知る術は、俺には無い。

しかし、きっと彼は今も唄っている事だろう。
プロになったかも知れない。
そうじゃないかも知れない。
でも、きっとこの世界のどこかで今も唄っている。
そう思うのだ。

H君。
元気にしているか?
俺はまだ漫画を描いているよ。
この世界の片隅で、漫画を描き続けている。
今、こうして漫画を描いているのも
きっとH君のおかげだと思う。
自分の漫画を描けて、色んな人と交流できて、とても幸せだ。
H君、ありがとう。

テープはこれからも大切にするよ。
俺、一生大切にするって言ったもんな。
もう届かないけれど、
今、あの日上手く言えなかった『ありがとう』を伝えるよ。

『ほんとうに、ありがとう』。

【今回の内容に関連する話】
『俺は嫌われてもいい。でもアレは嫌わないでくれ!』
(趣味の話をするとドン引きされてしまった件)
『ありがとうでは伝え切れないありがとう。』
(漫画や絵を描けなくなった時期の話)
『さわってみたいお年頃』
(俺もギターに憧れていたのだが…)

おじさんの旅立ち

俺がまだ若かった頃の話。
少し長いけど、良かったら聞いてくれ。

バイト先の小さな喫茶店に、常連のとあるおじさんが居た。

そのおじさんは、いつも大体決まった時間に店を訪れる。
スーツ姿であるところを見ると、恐らく会社帰りなのだろう。
夕方の同じような時間に、おじさんはふらりとやって来る。

空いていれば、いつも同じ席に座る。
一人用の小さなテーブルが置かれた、ソファー席。
そこでおじさんは、一人で新聞や文庫本を読む。

おじさんの注文は、いつもアメリカンだ。
それを飲みながら30分ほど過ごして帰って行く。
常連ぶった顔もしないで、ただ一人の時間を静かに楽しんでいる。
そんなおじさんだった。

俺はそのおじさんに借りがあった。

俺がバイトを始めてすぐの頃、
ホールを回っている時にヘマをやらかした。
おじさんの膝に思いっきりコップの水を
ひっくり返してしまったのだ。
俺はもう、真っ青だ。
パニックになりながらも必死で謝った。

おじさんのスーツのズボンはずぶ濡れで、収拾が付かない状態だ。
俺のミスに気付いたチーフが慌ててホールへ飛んで来て、
おじさんの膝をタオルで拭きながら
『クリーニング代を出します』としきりに謝罪した。
しかし、おじさんは顔色一つ変えずに、その申し出を断った。

怒りもせず、淡々と、いつもと同じ様子で
『水だから乾いたら何とかなる』と、
あまつさえクリーニング代も要らないと言う。
呆然としている俺にも『もういいよ』と、声を掛けてくれた。

俺は、おじさんみたいな大人がカッコいいと、心の底から思った。

それ以来もおじさんは、何事もなかったかのように店を訪れ
いつものようにアメリカンを飲みながら
自分の時間を過ごしていた。

しかし、そんなおじさんがある日を境に
ピタリと店に来なくなったのだ。

チーフをはじめ、店の従業員はみんな不審がっていた。
もうこの店に何年も訪れている、ヘビー級の常連のおじさんが
なぜこんなに急に店にこなくなってしまったのか。
皆で仮説をあれこれ考えたが、その中でも最悪の仮説が的中した。

おじさんが来なくなってから、半年ほど経ったある日の事だった。
閉店前のがらんとしたホールで
俺は店を閉める準備をいそいそと進めていた。
その時、年配の女性が店に入って来た。
女性は両手で花束を抱えている。
店に入っても席に着く様子も無く、俺に話しかけて来た。

その女性は、常連のおじさんの奥さんだった。

俺はすぐにチーフを呼びに行き、他のスタッフも集まった。
女性はチーフに、訪れた事情やおじさんの事を話し始めた。

おじさんは、すでにこの世の人では無かった。

おじさんは末期の肺ガンに侵され、
発覚した時には余命3ヶ月であった事。
その最期を静かに終えた事。
この喫茶店が大好きだったという事。
そして、自身の死後、この店に花を届けて欲しいと頼まれていた事。
それらを涙目で語った。
その後、『生前は主人がお世話になりました』と深々と頭を下げ
手にしていた花束をチーフに手渡した。

俺たちスタッフは全員、言葉が出なかった。
チーフが何かねぎらいの言葉を掛けていたけれど、
俺はよく覚えていない。

おじさん。
俺、何もしてないよ。
俺はおじさんに『ありがとう』って言われるような事、
何もしてないよ。

おじさんの席にアメリカンを運んだだけ。
おじさんからコーヒーチケットを受け取っただけ。
それどころか、俺はおじさんのズボンに水ぶちまけたよな。
何で『ありがとう』なんだよ。
おじさん、俺、何も出来てないよ。

自分の余命を知ってしまうなど、なんと恐ろしい事だろう。
俺はそんな事を知ってしまったら、
気が触れてしまうかも知れない。
そんな宣告を受けたら、正気でいられる自信が無い。

死を目前としてなお、おじさんは自身の身辺整理に命を費やし
この世にたくさんの『ありがとう』を残して行ったに違いない。
痛みや苦しみの中でも、自分に関わった人や物、
あらゆる事を一つずつ数え
それらに『ありがとう』を残したのだ。
そして静かな心で旅立ったのだろう。

俺ならきっと『余命3ヶ月です』などと言われたら、
『どうして自分だけ』と思うだろうし、言うだろう。
そして、自分の運命や世の中の全てに毒を吐き
釈然としない気持ちのまま最期を迎えるタイプの人間だ。
俺はおじさんみたいに『立つ鳥後を濁さず』
といった最期は迎えられない。

おじさんの奥さんは、ご主人の死に対して
自分の心の中で整理がつかず、
ここへ花を届ける事が少し遅くなった事を謝罪した。
しかし、おじさんの遺言を守り
律儀に花を届けてくれたその心意気は
店のスタッフにも届いたし、
天国のおじさんにも必ず届いただろう。

奥さんはもう一度深々と頭を下げると店を後にし
町の中へと消えて行った。

次第に小さくなる背中を見送りながら、
どうか無理をしないで欲しいと思った。
悲しい時は何をどうやっても悲しいものだ。
『元気』で居る必要などどこにあるだろう。
おじさんの奥さんが、心から笑える日が来る事を
祈らずにはいられなかった。

最近、人の死に対する認識が希薄になってきていると思う。
また、自分自身の命に対する価値観も軽くなり過ぎてはいないか。
いずれ必ず訪れる死を、なぜそんなに急ぐのか。

『私ぐらい居なくなったって』。
『僕ぐらいこの世から消えても』。
この世の大きな歯車は、この国の一人が居なくなった所で
何も変わらないと言う。
でも、歴史の流れは変わらずとも、
確実に人の死は誰かに影響を与えている。
特に身近な人に影響を与えている。

仮に、俺が今死んでしまったとしても
この世は何ら変わらず回るし、動いて行く。
そんな事は当然の事で、俺が死んだからといって
一日24時間というのが20時間になったりしないよな。

こんな間の抜けた人生など辞めてしまえと思う事もある。
自分の馬鹿さや愚かさに
『豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえよ、俺』と思う事もある。
それでも、俺は恥をさらしてでも、馬鹿にでも
与えられた命を生きようと思う。
正直、アホな事ばっかり言っているしやっているが、
そんな自分を自分で笑いながら生きられれば、それが一番いい。

おじさんを思い出すと、いつも考える。
毎日を大切に生きなくてはならないと。

くよくよしてたら、今日という日が終わってしまう。
もちろん、そういう日があってもいいけれど、
それでは一日がもったいないからなぁ。

ありがとう、先生。

今でもまだ、忘れられない先生がいる。
俺が小学生の頃にお世話になった先生だ。
とある事件がきっかけで、
その先生が生涯忘れがたい存在になった。

俺が小学4年生の時の話。

その先生は女性で、俺の担任の先生だった。
年齢は、当時40代前半ぐらいだったと思う。
大きな目と、明るく張りのある声が印象的な、綺麗な人だった。

ある日の道徳の時間の事だ。
道徳の時間は、先生が本を朗読してくれる。
それを静かに聴いているだけなのだが、
その日の道徳の時間は、とにかく眠くて仕方なかった。

その頃は夏で、午前中にプールの授業で泳いだせいもあって
いつにも増して体が心地よく疲労していた。
そんな中、昼食後の満腹感と道徳の時間の静けさは
容赦なく俺を眠りへといざなって来る。
先生のよく通る声が、まるで子守唄のようだ。

『寝たらダメだ』と、必死で葛藤する。
先生の朗読する物語に意識を集中しようとするが、
眠気は一向におさまらない。
あまつさえ、開いた窓からは夏の乾燥した風が吹き込んで
何とも気持ちがいい。

起きているつもりだった。
起きて先生の朗読を聴いているつもりだった。
しかし、俺はどうやら眠っていたらしい。

その時、突如響いた大きな声…。




『先生〜!Mが寝てまぁす!』(M=俺の名前)




その大声に、ビックリして一瞬で起きた。
俺の眠りと教室の静寂を破ったのは、T君だった。

彼は、告げ口(チクると言った方が分かりやすいか)するのが好きで、
いつも他人の失敗やアラ探しをしたり、
うわさ話やウソをクラスメートに言いふらすのが大好きなのだ。
俺にとっては結構苦手なタイプだった。

T君の方を見ると、『してやったり』といった表情で
俺を馬鹿にしたような目で見ている。
よりによって一番見られたく無い奴に見つかってしまったなぁと、
自分の失敗に腹立たしさを覚えた。

『これはまずい…』。

俺はひたすらあせった。
何はどうあれ、悪いのは120パーセント俺だ。
先生の朗読も聴かずに居眠りしていたのだ。
もはや言い訳できる理由など何一つ無い。
叱られて当然の、俺の大失態なのだ。

これは大目玉を喰らうと覚悟した俺。
先生からのお叱りの言葉を待って、しょんぼりと俯いていた。

しかし、先生が発したのは意外な言葉だった。

『居眠りは確かにいい事ではありませんね。
でも、誰にも迷惑は掛かっていません。
寝ていた人自身が、話の内容が分からなくなるだけです。
だけど、T君が大きな声を出した事はどうかな?
現にこうやって先生は朗読を中断しているし、
T君の大きな声でビックリした人も居るかも知れませんよ。』

先生は凛とした声で、T君にそう言った。
居眠りしていた俺を叱るのではなく、
それを指摘したT君を静かに諭したのだ。

T君はしばらく黙ったあと、気まずそうに先生に謝った。
ついさっきまで得意気な表情でこちらを見ていた彼は、
もう俺と目を合わせようともしない。
居眠りしていて叱られるはずだった俺よりも
小さくなっていたかも知れない。

その後、先生は
『この本とてもいいお話だから聴いて欲しいな。』と、
怒った様子も無く穏やかに俺にそう言った。
そんな先生を見て、俺は居眠りした自分の甘さを恥じた。

俺は先生に謝った。
心の底から謝った。
一言の『すみませんでした』に、ありったけの心を込めて言った。
俺からの謝罪を聞いた先生は、
また何事も無かったかのように物語の続きを朗読し始めた。

その一件ですっかり目の覚めた俺。
先生の朗読を聞きながら、
心の中で先生に何度も『ありがとう』を言っていた。
何か胸の奥が熱かった。

叱られなかった事が嬉しかったのでは無い。
先生の『判断』が嬉しかったのだ。

本来なら、俺が一方的に叱られて当然の出来事なのだ。
道徳の時間とは言え、立派な授業中。
授業中に居眠りなどした俺が悪いのだ。
しかし先生は、そんな俺を叱らずに
居眠りを大きな声で指摘したT君を諭した。

決してT君のした事は間違いでは無いだろう。
彼が俺に、みんなの前で恥をかかせたかったのか。
あるいは俺が眠っている事を腹立たしく思い、先生に伝えたのか。
その本心と意図は、今となっては分からない。

ただ、当時の俺が子供ながらに感服したのは
先生のその『物事の見方』だったのだ。

『何が正しい』『何が間違っている』という判断は、
時として『白か黒か』だけで出来るものでは無い。

今回の一件にしても、話の流れからすると
一般的に考えた場合、非は居眠りした俺にある。
しかし、先生は『居眠り=悪い』という判断ではなく
『周りに迷惑を掛けたかどうか』という判断の下、
俺ではなくT君を諭したのだ。

なかなか難しい事だと思う。

俺などは、短絡な発想しか持ち合わせておらず
物事の判断も実にお粗末である。
この一件にしても、もし俺が先生の立場だったら
恐らく居眠りしていた生徒を一喝して済ませていただろう。

自分のやった失態を正当化する気は無い。
しかし、今でも俺はこの一件を思い出しては
先生に感謝することしきりだ。

『どんな時も冷静に、視野を広く持って物事を見るべきだ』と、
俺はあの時の先生の行動から、そう学んだ。

しかし、そう『学んだ』はずが
それを人生において活かす事が出来なかった俺。
残念ながら、決して立派な大人にはなれなかった。
何においても浅はかで、すぐに頭に血が昇る。
薄っぺらくて間の抜けた生き方しか出来ない、
そんなグダグダの人生です(笑)。

でも先生。
俺は今でも先生の事も、その言葉もしっかりと覚えています。
時々思い出しては
『もっと考え方や視野を広く持たないとなぁ』って、
『冷静に判断しないとなぁ』って、
そう思い直しています。

先生、ありがとう。
あの時先生が普通に俺を叱っただけだったら
俺の人生、もっとグダグダになっていたかも知れません。

だから先生、ありがとう。
もう届かないけれど、
先生、ありがとうございました。

さわってみたいお年頃

若気の至りで買ったフォークギター

人間誰しも、一度はこういった物を
さわってみたい年代があったのではないだろうか?

先日、押入れの奥から懐かしい物が出て来た。
何かって言うと、上の画像。
そう、見ての通りの『フォークギター』だ。
昔むかし、俺が若気の至りで購入した一品。
懐かし過ぎて涙目になると同時に、
実に『痛い』一件を思い出して苦笑してしまった。

心配しないでくれ。
俺が例の『西城秀樹の死に損ない』の髪型(笑)で、
路上でこのギターで熱唱しておまわりさんに連れて行かれたとか
そういった類の話では無い。
本当に『痛かった』んだ…。
それに、路上で歌を披露できるほど上達もしなかったしな。

確かこの『フォークギター』を購入したのは、
俺がまだ10代の頃だった。
バイト代を使って、ギターとそれに関する備品も合わせて購入。
『ギター教本』だの『楽譜』だのを買い揃えた。
そして、その備品の中でも重要だったのがコレ。

チューナー

これは『チューナー』だ。
ギターの弦は、引いているうちに緩んで音が微妙に変わってしまう。
『チューナー』は、それを調整するのに必要な道具なのだ。
しかし、改めて見るとデザインが古いな(笑)。
今はもっといいチューナーがあるんだろうな。

使い方は至って簡単。
フォークギターの弦は6本。
このチューナーの前で、各弦1本ずつをはじいて音を出し
チューナーの針が一定の場所まで到達したら
その弦の音の調整が完了、という事になる。
弦に合わせて、チューナーの設定も変更し
順番に6本の弦の音調整を行っていくのだ。

高すぎたり低すぎたりしないように
ギターの上部の『ネジ』みたいな部分を回しつつ、
弦の張り具合を調整して音を合わせる。

そして、その調整中にそれは起こってしまった。

俺はその時『第5弦』をチューニングしていた。
もちろん、チューナーの設定もその音で設定していた。
弦をはじくと、チューナーの針が『低すぎる』位置で動いている。
『これは低いな』と思いつつ、ネジを締めて第5弦を張った。

もう一度、第5弦をはじいてみる。
しかし、チューナーの針には一向に変化が無く、
さっきと同様の位置でフラフラと動いているではないか。
『おかしいなぁ』と思いつつも、更にネジを締めて第5弦を張らせる俺。
結構強めに弦を張ったので、これでいいだろうと思った。

もう一度。
ところが、チューナーの針は相変わらず
音が低い事を表す部分でゆらゆらと動いている。
妙に『イラッ』とした俺。
更にネジを締め、第5弦を張りに張った。

結構頭に来ていたので、
『これでもか!』と言わんばかりにネジを締め上げて
第5弦を強く張った。
…いや。
正確には『第5弦を張っているつもり』だった。

その瞬間、『ブチン』っていう感じの音がして、
切れたギターの弦が俺の頬の辺りに『バチーン』って当たった(笑)。
一瞬何が起こったのか分からず唖然としたが、
それ以上に『痛かった』。

ギターの弦は細くて、そんなにダメージなさそうに見えるけど
弦はいわゆる『ワイヤー』のような物で、金属製だ。
長年放っておけばもちろん錆びるし
(俺のギターも、弦が全部ボロボロに錆びていた)、
勢い良く顔に当たると、それはもう結構痛い。

一体何が起こったのか。

結局俺は、第5弦を調整しており、チューナーもその音に合わせていた。
しかし、低い音を高くしようとネジを締めて張っていた弦が
『第5弦』では無く、となりの『第4弦』だったのだ。
必死で張っていた弦が『第5弦』では無く、となりの『第4弦』。
そりゃ、チューナーの針にも変化が出るはずがないよな。

…なんという初歩的なミス。
俺、本当にアホ過ぎ(笑)。
締め上げ過ぎて切れる前に気づけよ俺、って感じもするが。

それにしても、切れて勢い良く俺の頬に当たった弦は結構痛かった。
何だかギターに『アンタにギターは似合わないのよっ!』って、
思いっきり平手打ちされた気分だった。
…でも、大丈夫です。
俺は自称『ドM』なので(笑)。

結局、この一件が原因ではないが
あらゆる要因が重なって、俺はギターを極めるのをやめた。
一曲も弾けないまま、途中放棄。
そして押入れの奥に眠ってしまった俺のギター。
こんな所でも俺のヘタレっぽさ全開(笑)。

若い時って、なんだか妙に楽器をさわってみたい時期があるよな。
…無いですか?
…そうですか。
もしかして、俺だけなのか?

別に年齢は関係なく、何か無性に楽器を演奏してみたい時期はある。
俺は今、猛烈に『ドラム』がやってみたくて仕方が無い。
ゲームや疑似体験ではなく、本当にドラムを叩きまくってみたいぞ!

しかしあれだな。
どうして当時の俺は『ギター』を始めようと思ったのだろうか?
モテたかった…って、
いやいやいやいやいや。
違うから、絶対違うからっ!

でも、『ギター弾けたらカッコいいよな』
なんて思っていたのは事実です(笑)。

【今回の内容に関連する話】
『取り返しがつくのにヘコむ事』(西城秀樹の死に損ないの髪型の件)

親父、アンタそうだったのか…

グローブミット

先日、探し物があるので押し入れの中をゴソゴソやっていると
上の物が出て来た。
俺が子供の頃使っていた『グローブ』と『ミット』だ。
グローブとミットの違いは、簡単に言えば
グローブは、キャッチャーと一塁手以外の野手が使う物で
ミットは、キャッチャーと一塁手が使う物だ。

しかし、『使っていた』とは言え、俺が野球部だった訳では無い。
ただ単に親父とキャッチボールをするのに使っていただけだ。
友達と野球をするのにも使っていたが。

このグローブとミット。
見た瞬間、親父とのキャッチボールの思い出と共に、
親父が結構『ドM』だったと思われる一件を思い出した。
俺がドMなのは、実は親父の遺伝だったのではないかと
改めて実感した次第である。

『変態』を自負している俺だが、
そんなにスレスレの内容ではないので良かったら聞いてくれ。

俺が子供の頃、よく親父とキャッチボールをした。
親父と一緒に学校の校庭へ行き、そこでキャッチボールをした。
(当時、今とは違って校庭には誰でも自由に入る事ができた)。

俺は運動神経は決して悪く無い方だと思っているが、
ピッチングが得意ではなかった。
速い球を投げられるかどうか以前に、コントロールが非常に悪い。
思った所に球を投げられないのだ。
親父はアレコレと俺に『指導』をするが、
その通りにできるかというと、もちろんそんな事は無い。
言われてすぐにできるんなら、俺は今頃大リーガーだよ(笑)。

それでも親父に褒められたい一心で、
コントロールの腕を上げようと必死になる俺。
どやされながらも一緒にキャッチボールをしていた。

そんなある日。
いつも通り学校の校庭でキャッチボールをしていた時の事だった。

何をどうやったらそんな方向に飛んでいくのか不思議なほど、
俺はあさっての方向に球を投げてしまった。
球は親父の構えるミットの方向から大きく外れ、
その頭上を超えようとしている。
親父はその球を、精一杯腕を伸ばして取ろうとした。
…その瞬間。

『ぐぅあぁっっ!!!』

苦痛の声を上げて、その場にうずくまる親父。
いつに無い悲痛な声に、俺は半泣きで親父に駆け寄った。

職人だった俺の親父は、ずっと座り仕事で体をあまり動かさない。
その為か、両肩ともいつもひどい肩こりで
腕を肩より高い位置に上げられないという有様だった。
(今思えば、完全に『職業病』だったのだろう)。
そんな親父が、俺の投げた球を取ろうとつい無意識に腕を伸ばし、
肩に激痛が走ったのだ。

『お父さん、お父さん!大丈夫!?』
うずくまったまま動かない親父に、必死で呼びかけた。
これは確実に、変な方向に球を投げてしまった事を
叱られるだろうと覚悟する俺。

ところが親父。
痛みをこらえ、小刻みに震えながら言った。

『いいなぁ…。イイぞ…。今の球は…』

そう言った親父は、なぜか半笑いである。
子供心に『何がどういいんだよ』と思ったものだ。

半笑いのままゆらりと立ち上がった親父は、
伸ばして激痛が走った方の肩をぐるぐると回してみたり、
ゆっくりと肩より高い位置に上げてみたりしている。

どうやら親父。
いつもなら、痛みが走るとつい肩をかばってしまい
腕を思うように動かせない状態だったが、
球を取る事に必死で勢い良く腕を伸ばした事により、
いつもより自由に腕を動かせるようになったのが嬉しかったらしい。

途端に親父は、俺に無茶な要求をしてきた。
球を、腕を伸ばして取れるかどうかのギリギリの位置に
投げろと言うではないか。
またそうやって、つい腕を伸ばしてしまう状況を
わざと作り出そうと企んでいるのだ。
さっきまで『ミットを狙って投げろ』と言っていたのに
この要求の差は何なのだろうか(笑)。

何か釈然としない気持ちのまま、
親父が『精一杯腕を伸ばして取れるかどうか』という
キワドイ状況になるように球を投げた。

親父は『もっといい球投げろ!』と言うが、
いやあの、これどっちかって言うと『悪い球』なんですけど?

親父の要求に、わざと『取れるかどうかの位置』に球を投げる俺。
そんな俺の苦労も知らず、親父は球に向かって腕を伸ばし
その度に『ぐぅあっ!』だの『おぉあぁぁっ!』だの、
あらゆる苦痛の声を上げている。
…これ、何のプレイですか?

休日の校庭…。
この様子は周りから見ていると、明らかに異様だったに違いない(笑)。
あさっての方向に球を投げ続ける子供と、
それを悶絶しながら取る父親。
…怖いよ!

俺は、そんな『キワドイ球』を投げ続け、
親父はそれを取ろうと無理に腕を伸ばし続けた。
帰る頃には、親父は肩をぐるぐる回しつつ
『あ〜、軽くなった〜』と喜んでいる。
…子供心に『何かが違う』と思った。

しかし、それだけでは無い。

後日。
すっかり『キワドイ球』を取る事にハマッた親父。
今度は校庭ではなく、家の前でやろうと言い出した。
俺が『校庭の方が周りに何も無くて安全だ』と抗議すると、
親父はむしろ『その安全がイカン!』と熱弁する始末。

自宅の前はそんなに広く無い。
俺の投げたキワドイ球を取れなかったら、
それは恐らく親父の頭上を越えて、背後の民家に直撃するだろう。
しかし、その『危機感』が無いと
更に必死で球に喰い付けないというのが親父の言い分だった。

…親父、アンタ完全にドMだったんだな(笑)。

仕方なく、自宅の前でキャッチボールを始めたが
それはもう『キャッチボール』とは呼べない物だった。
ある意味『地獄絵巻』みたいになっていた。

俺が投げるキワドイ球に腕を伸ばし、球をキャッチする親父。
しかしその度に、やはり『のぉおぉあぁっ!』だの
『うぐぅあっ!』だの苦痛の声を上げる。
さすがに心配になり、親父に『大丈夫か?』と聞くと
『…もっと、もっと高い…、…もっと取りにくい球を投げろ…』と
薄ら笑いで答える。

…これは何かの荒行ですか?(笑)。

そして、キャッチボール(?)を一通り終えると
やはり親父は肩をぐるぐる回しながら
『あ〜、肩軽くなった〜』と満足げなのだ。
いや、それ何かおかしいから!
何か間違ってるから!

親父の肩の『治療』を兼ねた、キワドイ球キャッチボール。
幸い、一度たりともよその民家に球が直撃する事も無かったが、
今思えば相当無茶をしていたと思う。
…親父がな(笑)。

そんな親父の遺伝子を、確実に、余す事無く受け継いだ俺。
…戦国かぶれのドMに育ちました。
最悪です(泣笑)。

【俺の親父に関する話】
『9×9 〜真夜中に響く声・壁に浮かぶ文字〜』(これも親の愛なのか)
『月・父・母・餅、そして、俺。』(ひとくちサイズのドッキリ)
『最近親父に似てきたなぁ…』(戦国かぶれは親父に似たのか)
『親父と俺 in 雪山〜消える事のない想い出を〜』(想い出は時に美しい)
『勝手に参るな』(親父の墓にまつわる不思議な話)

そんな目で見ちゃイヤン〜俺はやってない!〜

生涯において、あんなに怖い目でみつめられる事がそうそうあるだろうか?
今思い出してもつい笑ってしまう、
それでいてかなり緊張した俺の思い出。

もう10年近く前の、ある平日の事だった。
当時、交代制勤務で働いていた俺。
その日は遅番で、勤務は午後から夜半にかけての時間帯だ。
出勤までの時間を自宅でグダグダと過ごしていると、
突如、姉から連絡が…。

何かと電話に出てみると
『1〜2時間ほど外出するから、その間子供を預かって欲しい』
との連絡だった。
当時、姪っ子は3歳ぐらいだったか。
まだまだ目の離せない幼児だ。預かるのにも気を遣う。
まぁ1〜2時間ぐらいならと俺は姉の依頼を聞き入れた。
しばらくすると、隣町に住む姉が車で姪っ子を連れて来た。
俺は姪っ子を預かると、姉を見送った。

久しぶりに会う姪っ子は、よく話をするようになっていた。
ほんの少し前は、言葉もおぼつかない様子で
話もほとんどしない子だったのになぁ。
子供の成長というものは、何と早いものだろうかなどと感心しつつ
姪っ子としばらく部屋で遊んでいた。

しかし、これと言った子供のおもちゃも無い状況。
姪っ子は少し退屈そうな様子を見せ始める。
若干ご機嫌ナナメな感じだ…。

『いかん。このままでは姉が戻るまで時間が持たん。』

そう考えた俺。ふと外を見ると天気も良い。
このまま家に閉じこもっているのもかわいそうだなと、
一つの案が浮かんだ。

『公園行こっか?』

歩いて5分ほどの所にある小さな公園に誘うと、
姪っ子の顔が見るからにぱっと明るくなった。
答えは、彼女の返事を聞くまでも無いだろう。

俺は、いつも愛用しているリュックを背負うと
姪っ子と手をつないで近くの公園にぶらりと出掛けた。
季節は3月の始め頃。
風はまだまだ冷たいが、早春の日差しがとても心地よかった。

別に、財布だけポケットに入れて出ても良かったのだが
何かリュックを背負っていないと落ち着かない俺。
よく『何が入ってるの!?』と聞かれるぐらいデカいリュックだ。
…これが後々、俺の足を引っ張る事になろうとは。

公園に着いた俺と姪っ子。
平日の午前中の公園には、誰も居なかった。
天気とはいえ、まだまだ冬の寒さも残る外気はやや冷たい。
寒い公園に来る親子連れや子供は居ないのだろうか。

寒さも気にせず、姪っ子は嬉しそうにブランコに突進。
二つある小さなブランコの一つに乗ると、俺を呼んだ。
…どうやら俺にも乗れと言っている様子。
しょうがない。ここは逆らわず付き合うとしよう。

それにしても。
小さなブランコに乗って、幼児と一緒にはしゃぐ怪しい大人…。
今思えば、絵面(えづら)的に怖すぎるぞ、俺っ!(笑)。

しばらくブランコで遊んだ後、次はシーソーへ。
その次はジャングルジムに行こうと誘われ、二人して登った。
一番上まで登って、腰掛けたまま話を始めた。

姪っ子は最近自分が覚えた歌や、近所の友達の事。
新しく知った遊びやゲームの事などを、
舌足らずな口調ながら一生懸命に話した。
俺はそんな彼女の話を『うん、うん』と、
ただひたすら聞く事に徹していた。

と、その時だった。
バイクの音が聞こえてきた。

つい反射的にジャングルジムの上から公園の外を見ると、
まだ若いであろう警官が一人、バイクに乗って超低速で走っている。
しかし、俺と目が合った瞬間だった。
その警官はバイクを止め、バイクにまたがったままの状態で
俺の事を凝視し始めた。

その目は、明らかに俺の事を『誘拐犯』でも見るような目つきだった。
確実に『気のせい』などでは無い。
もう、その顔の怖い事怖い事。
今にも手錠を持ってこっちに向かって来そうな勢いだ。

しかし、疑われてもしょうがない。
確かに俺と姪っ子の組み合わせは、誰がどう見ても『親子』では無く、
俺が『どこかからさらって来た子供』だった。

俺と姪っ子は本当に似ていない。
全く似ていない。
血のつながりが微塵も感じられないほど似ていない。

そんな俺が、あまつさえ『登山に行くのか?』といった感じの
大きなリュックを背負って、幼児とジャングルジムの上で話している。
その様子は確かに、一見『異様』だったに違いない。
その光景に犯罪の匂いを感じ取ったのだろう。
そりゃ、おまわりさんだって疑うよな(笑)。
もはや職務質問されてもおかしくないような雰囲気だ…。

いやいやいや。でも俺、さらってませんから。
これ、俺の姪っ子ですから!
警官のおっかない表情に、内心どぎまぎしていた俺。

時間にして約3分近く、その若い警官は
俺と姪っ子の様子を注意深くうかがっていた。
しかし、姪っ子が俺の事を愛称で呼んだり、
『ママ何時にもどってくるの〜?』といった問い掛けを
していたせいだろうか。
恐らく大丈夫だと思ったのか、険しい表情のまま
またバイクのエンジンをかけて走り去って行った。

いやぁ〜、もうホント怖かった。
あの顔、特に目は怖かったわ〜(笑)。
本気で職務質問は覚悟したからね。
発砲されたらどうしようかとも(って、それは無いだろ!)。
完全に『誘拐犯』だと思われてたね、俺。

その後、満足した姪っ子を連れて家に戻り
用事を済ませて帰った姉に、無事会わせる事ができた。

後日。
母にこの、俺が警官から『誘拐犯』扱いされた一件を話してぼやくと
逆に諭されてしまった。
それはなかなか熱心で、思慮の深い警官ではないかと。

もし本当に俺が誘拐犯だったとしよう。
そんな状況を見逃して、何もせずに警官が素通りでは
犯罪を止めるチャンスを逃している事になる。
今回は俺と姪っ子が何らかのつながりがあると判断したものの、
万が一『おかしい』と思ったら、警官は何か手を打っただろう。
本当に犯罪だったら、ここで阻止できるではないか。

そう言って、母はその若い警官について感心していたが、
誘拐犯扱いされた俺はいささか気分が悪かった。
まぁ、確かに怪しい雰囲気たっぷりだったからなぁ(笑)。
あのリュック。
やけに大きいリュックが俺の怪しさを増幅していたに違いない。
…いや、元々怪しいか。
リュックのせいにするな、俺よ。

しかし、言われてみればそうだ。
異様な感じがするのに、それを『まぁいいか』なんて見過ごす。
警官ではなくても、自分がそういう状況に遭遇した時、
注意深く観察する事も必要かも知れないと思った一件だった。

…俺、そんなに雰囲気怪しいのか。
地味にへこみつつ、今回のブログを締めくくります(笑)。

取り返しがつくのにヘコむ事

最近、昭和の歌謡曲にハマっている俺。
その中でも、西城秀樹の『YOUNG MAN(Y.M.C.A)』を
やたらと気に入ってしょっちゅう聞いている。
で、YOUNG MANを歌っていた頃の西城秀樹を見て思い出した、
俺の若き日の苦い思い出。

若き日の俺。実はちょっと長髪だった。
『長髪』とは言え、肩までつくかどうかぐらいのやや長い髪だ。
今はもう、長髪なんて色々と面倒臭いので短髪にしている。

とある春の事。
少し長くなってきてうっとうしかったので、散髪へ行った。
普段なら『軽く切って下さい』って
長さを少し短くしてもらって終わりなんだけど、
ふと目にした『ヘアカタログ』的な物が悪かった。

何気なく手に取ってパラパラとページをめくっていたが、
一つの髪型に釘付けになった。
セミロングの髪に、軽いパーマ。
爽やかに笑っているモデルの笑顔が眩しかった。

『これ、いいなぁ…』

その写真を見た途端、俺の脳内で始まる妄想…。
その髪型になった俺が、俺の脳内ビジョンで爽やかに笑っていた。

春の昼下がりの公園。
柔らかい日差しの中でベンチに腰掛け、
公園の中でたわむれるハトの群を見ながら、爽やかに微笑む…。

まだその髪型にもなっていないのに
そんな自分の姿を想像して、うっとりとする俺。
大体何なんだよ、春の昼下がりの公園って。
どんなシチュエーションなんだよっ!
俺、バカ丸出し(笑)。

しかし、よく考えて見ればあれだ。
『柔らかい日差しの中でベンチに腰掛け、
公園の中でたわむれるハトの群を見ながら、爽やかに微笑む』って、
これを俺が実際にやったら
どう見ても『半笑いでハトを捕獲しようと狙っている不審人物』だ!
職務質問確定だよっ!

大体、自分自身の容姿からして
そのヘアカタログのモデルとは雲泥ほどの差がある。
同じ髪型にした所で、そのモデルと同様の爽やかさが産まれる筈も無い。
それを念頭に入れず、すっかりその髪型の虜になった俺。
店の人にそのヘアカタログを見せて
『これにして下さい』などと、無謀な注文をしてしまった。

今思えば、若気の至りとしか言いようが無い。
あるいは『春のいたずら』だ。
春の妖精が、俺にこっそり魔法を掛けたのさ…。
ああ、そうさ。
そうだともさ(意味不明)。

…結局。
散髪終了後の俺の姿は、
まさに『西城秀樹の死に損ない』だった(笑)。

俺、がっかり。
しかし、冷静に考えればこんな結果は予想出来た筈なのだ。
当時の俺は、身の程知らずだったと痛感したものだ。

それにしても、一体何だろうな。
どうして髪型を失敗した時って、あんなにヘコむんだろうか?
髪の毛なんて、また伸びるじゃないか。
しばらくは自分自身でもこっぱずかしい思いをするが、
決して取り返しのつかない事では無い。
時間が経てば解決する問題なのだ。
それなのに妙にヘコむよな(笑)。

その時はとにかく、地味にヘコんだ。
友人知人など、会う人からほぼ100パーセントの確率で
『髪型、イメージチェンジしたの?』と、
当然ながら突っ込みをいただく羽目に。

しかし、開き直って『ィヤングマン!』と
西城秀樹風のモノマネをすると、
笑いは取れたのでそれはそれで良しとしよう!
(変な方向に前向きな俺)。

いやぁ〜、ホント怖いですね!
若気の至りって。

【今回の内容に関連する話】
『名前に気をつけて!』(ヘアカタログって色んな意味でスゴイ)

真夜中の○○○

世の中には『怖い事』って色々あるよな。
今回の事は、世間一般的に『怖い』部類に入るかどうかは分からないが、
俺的には結構怖いと思えた一件だ。
って言うか、嫌な一件だな。

話は今から約12年前にさかのぼる。

我が家には電話がいくつかある。
そして、俺の部屋には俺専用の電話がある。
当時、利用しなくてはならない理由がありFAX付きの電話を購入。
自室に設置した。

最近では携帯電話も普及し、メール機能も手軽で便利だが
当時は携帯自体が今ほど普及していなかった時代。
FAXは実に便利で、気に入って愛用していた。

そして、FAX付きの電話を自室に設置してから約1ヶ月後。
その『事件』は発生した。

ある深夜の事だった。
熟睡していた所を、突如電話の呼び出し音で起こされた。
半分寝ながら部屋の時計を見ると、時間はなんと明け方の3時。
ここですでにいささか『イラッ』とする俺。

すぐに電話に出る事が出来ずにもたもたしながら
ようやく受話器を取ろうと手を伸ばした瞬間、
FAXの受信音がして紙が送り出されてきた。

『ピーーーーーー、ガガガガガガ…』

独自の音を発しながら、徐々に送り出されるFAX用紙。
俺は眠いのと深夜に叩き起こされた苛立ちとで、
半ば冷ややかな目で送り出されてくるFAX用紙を眺めていた。

ようやく全ての内容を受信できたのか、
FAXは受信完了の甲高い『ピーーーーー』という音を立てて止まった。

『こんな深夜に一体何の用件だよ…』と
FAXの内容に目を通す。

…長い。
それにしても、長い。
長さにして約50センチはあっただろうか。
そこにこまごまと、何かが書き綴られている。

それは『発注書』だった。
それもなぜか『画材』の発注書だ。

○○社のアクリル絵の具を何ケースだの、
△△社のパステルを何ケースだの、
絵筆何本、鉛筆何ダース、消しゴムに木炭、その他色々あれこれと。
そこには画材の注文が続いていた。

思わずそのFAX用紙に突っ込みを入れてしまった。
『俺は画材の業者かっ!!!』

…って、真夜中に何をやっているんだ、俺よ。

それにしても、この一件。
時間が日中だったなら、表示されている発信元にでも
『送信先間違えてますよ』などと連絡でも入れたかも知れない。
しかし、明け方の3時ではそんな気も起こらない。
むしろこんな中途半端な時間に呼び出し音で起こされて
いささか頭に来ていたのも確かだ。

そして、そのFAX用紙を見ながら、俺はふと怖くなった。

こんな時間に、なぜか画材の発注書を送信。
俺はよく知らないが、自動発信機能でもあったのだろうか?
明け方3時に自動的に発信されるなどの機能が…。

もし、この明け方3時という時間に
今まさに誰かがその会社から送信したのだとしたら、
何だかちょっと怖いなぁ…、と思えたのだ。

そんな時間に会社に居て、恐らく他に誰も居ないであろう事務所から
一人で黙々とFAXを送信する従業員…。

明け方3時の薄暗い事務所から
FAXを送信する従業員の姿を脳裏に思い浮かべて、
俺は軽い恐怖を覚えた。
しかも、俺の想像の中でFAXを送信している従業員は
なぜか『半笑い』だ(笑)。

俺が感じた『恐怖』の理由や正体は分からないが、
何か漠然と怖いと思った。

今すぐ発信元に、送信ミスを伝える電話を掛けたら
誰か出るのだろうか?などと考えつつ、
俺は長〜いFAX用紙をゴミ箱に放り込んで布団に入った。

そこまでは面倒見きれません(笑)。

それに、間違い指摘の電話を掛けて
『この番号は現在使用されておりません…』とかなったら
小心者の俺はトイレに行けなくなるから!
トイレの度に『おかーさんついて来て』ってなるから!
(俺、超ヘタレ暴露)。

最近ではすっかり使用しなくなったFAX。
送信する際には、電話番号の間違いには気をつけようと
改めて思った一件だ。

【今回の内容に関連する話】
『現役!昭和の伝道師!』(我が家の電話事情)

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